この本を読みました。
職業としての小説家 村上春樹
読もうと思ったきっかけは下記のブログ↓
目からウロコの英語「楽」習
こちらのブログでは高校の英語の先生がご自身の多読体験をもとに、しゃべるためにも多読、受験にも多読、とにかく多読多聴にまさる英語習得法はないと力強く語っていらっしゃいます。この先生に刺激を受けて、私の多読指導に対するモチベーションが下がりそうなときには、関連記事を読ませていただき、励ましていただいております。
「学校」と「英語」について、私が日頃考えていることが、なんと村上春樹の高校時代の英語体験の描写と重なっていて、さっそくこの本を購入しあっというまに読んでしまいました。
特に興味深かったのは、第8回「学校について」。
村上春樹にとって学校はどのような場所であったのか、学校教育は小説家である氏にとって、どういう影響を及ぼしたのか、この章の中では教育というもの全般について、氏が感じていることや思っていることが綴られています。「効率」を追求するときに奪われる「想像力」、そのへんのことについても、普段私がぼんやりと考えていることがらが言語化されているようで、たいへん共感の持てる章で、3回も読み返してしまいました。1章すべて引用したいほどですが、今回は英語についての記述のみでがまんします。
下記にその抜粋をいくつか紹介します。
僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語が得意だったわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳されていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーバーバックを一山いくらで買ってきて、意味がわからなくても、片端からがりがり乱暴に読んでいきました。最初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗なく横文字の本が読めるようになりました。(p.195)
村上春樹が高校時代に英書多読をしていた事実。
彼の英語力は「がりがり乱暴に読んだ」高校時代の多読体験に支えられている。
もうびっくり仰天!
というか、「やっぱりそうだったのか〜」という安堵感。
ご存知の方も多いと思いますが、村上春樹は優れた翻訳家としても活躍しています。アメリカでは現地の作家たちと対等な立場でフロンティアを切り開き、世界中に読者の層を広げることに成功しています。
しかし、いずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう英語で読めるようになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上したかというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでした。どうしてだろう?僕は当時、そのことについてけっこう考え込んでしまいました。僕より英語の試験の成績が良い生徒はいっぱいいるけれど、僕の見たところ、かれらには英語の本を一冊読み通すことなんてまずできません。でも僕にはおおむねすらすら楽しんで読める。なのにどうして、僕の英語の成績は相変わらずあまり良くないのだろう?それで、あれこれ考えた末に僕なりに理解できたのは、日本の高校における英語の授業は、生徒が生きた実際的な英語を身につけることを目的としておこなわれてはいないのだということでした。じゃあいったい何を目的としているのか?大学受験の英語のテストで高い点数を取ること、それをほとんど唯一の目的としているのです。(p.196)
この春から受験の年を迎える中高生が教室に何人かいます。この時期、受験塾との兼ね合いで教室をお休み、あるいはやめる人もいます。
受験準備、ほんとうにたいへんだと思います。
「また多読で英語を楽しくやっていきたい余裕ができたら、戻って来てね。」
そう伝えます。
小学生のうちは「英語で遊ぶの楽しいな。使えるようになりたいな。」って続けてくれた子どもたちが、中学生になったとたんに「評価される英語」に苦手意識を持って英語嫌いになったり、高校に入って「英語ができないんです…」と、テストで点が取れないことを悲観して、やる気をなくしてしまったり、今までやってきたことまで否定してしまう。
ほんの少し前までは、Poppletonの本を何冊も読んで、「いいなあ、このお話。心があったまる。」と、絵本の読書を楽しんでいた人が、いまは「何をやってもだめなんで。」と、英語に対して自信をなくしてしまっている。
テストの出来不出来に一喜一憂する中で、失われてしまうほんとうの好奇心。
村上春樹が本の中で語っている
なにしろ好奇心がすべてです。
この言葉には重みがあります。好奇心をかき立てるような教育のありかた、逆に好奇心を奪ってしまうようなシステムの存在。
テストって何なのだろう。
評価って何なのだろう。
なんのために英語を学ぼうとしているのだろう。
言語というのは生きているものです。人間も生きているものです。生きている人間が生きている言語を使いこなそうとしているのだから。そこにはフレキシビリティーがなくてはなりません。(p.197)
ほんとうにその通りだと思います。
「テストで高得点」が目標になるとフレキシビリティーはどんどん失われていくでしょう。
「あ〜試験だ〜。」
「間違ったらどうしよう〜。」
そんな暗示にかかって、英語を使ってみようと思えなくなっちゃうんだ〜。
生きている言葉なんだから、生きている人間が使うんだから、フレキシブルにいきましょう。
こういう絵本をたくさん読んで、小さな感動体験を重ねていきましょう。
The Stray Dog by Marc Simont
昨日、一人の中学生が帰り際ぽそっと話してくれました。
生徒「市でオーストラリア・ホームステイの募集をしていて、応募しようと思ってます。」
私 「えっ、ほんと!」
生徒「でも、20人くらいの枠に100人くらい応募するらしくって。」
私「大丈夫、推薦状でもなんでも書くよ、協力するよ!来週少し早くきて話す?」
英語を使う環境に飛び込んでみたい。異文化体験にチャレンジしてみたい。
そんな風に密かに思ってくれている彼女の言葉にすごく励まされました。
これまでコツコツやってきた多読多聴の成果を思う存分発揮しちゃいましょう。
きっと素敵なホームステイ体験になるはずだよ!
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