実家からもってきた古い荷物を整理していたらいろいろなアルバムが見つかりました。
留学時代の懐かしい写真の数々。28年前のことです。
教会で知り合ったキャンプさんご夫妻のお宅で感謝祭のディナー。キャンプさんの孫(上)と南米コロンビアからの留学生たち(下)と一緒の1枚。ちなみに私は下段左にいます:)What big hair I had back then!
高校の卒業式翌日には成田空港から単身渡米、アラバマ州ガズデンの小さな空港に降り立っていました。タクシーも拾えない夜の田舎町の空港から、Sheriff(保安官)の車で学生寮まで送っていただいた、そんな懐かしい思い出が次々とよみがえってきます。
青のTシャツを着ている人が私の最初のルームメイト、ナイジェリアから来ていた学生アグネス。とても優しい女の子でした。
留学当初、はじめの3ヶ月は無我夢中でした。大学入学前には各国から訪れる留学生達と一緒に語学研修を受けたのですが、一番話せないのが私たち日本人留学生。アフリカ、ヨーロッパ、南米から来ていた学生たちはどんどん話します。とても積極的に、文法の間違いなど気にせず、社交的で、おしゃべり上手でした。私たち日本人留学生が唯一、胸を張って参加できたのは、文法のクラスだったかな。
3単現のSとか、単数複数とか、過去形か、いや現在完了形がいいのか、いざ使うときにいちいち気にしていたら、どんどん進んでいく講義でのやりとりや、仲間との会話のスピードに追いつきません。”Fluency Over Accuracy”の必要性をつくづく感じました。
どんどん話したり、書いたりするうちに、文法の間違いも少しずつ直されていく、そんな感覚を養うことが大切だと思いました。文法はばっちりで、きちんとした日本語に訳せるかどうか、そういう力は実際に英語を使う場面では必要ありませんでした。
Fluency Over Accuracy
正確さよりまず先に流暢さ。
ここでいう「流暢さ」というのは、「間違いを気にせず恐れずどんどん使っていく」という意味です。
英語に接する量が増え、どんどん使っていく中で、少しずつ正確さが増していく感覚を養うことはとても大切だと思います。
日本の中学高校6年間で接する英語の量は、このFluencyを体験するにはあまりにも足りないことは事実です。しかし、多読多聴を中心とした活動で英語を取り込む量を増やしていくことは十分可能だと思います。そして、フリーライティングやフリートーキングで、間違いを気にせずどんどん使っていく中で、少しずつ細かい部分に気付き、直し、修正していく。よく考えてみれば、普通に言語を習得していくプロセスです。
日本の学校英語ではまず「正確に」英語を身につけていく事が大切とされています。テストでは「S」が付く付かないで−2点。スペルミスで−1点。マイナス、マイナス、減点方式で、紙面上の正確さにおいては相当訓練されると思います。
しかし、正確さにこだわればこだわるほど、いざ英語を話す、使うときに、間違った事を言ってしまわないだろうか、現在と過去を混同したら意味が通じるだろうか等々、心配しすぎて話すタイミングを逸してしまいます。私を含め日本人留学生たちが間違いを気にしすぎてなかなか発言できなかったもどかしさ、あの頃のことを思い出します。
私の小さな教室でできることは限られているかもしれませんが、「英語を使えるようになる」「英語を使って自分の世界がどんどん広がることを楽しんでいける」ために、Fluency Over Accuracyを大切に、毎週のクラス活動を工夫していこうと思います。
追記:中学生に文法の説明をしようとすればするほど、私自身もまた生徒たちも「使う英語」から遠ざかってしまっているなあと思った事が何度もあります。現在完了、不定詞、分詞、構文、文法用語をどんなに教えても、またマスターしても、実際に英語を使う事をはじめなければ、何のための「英語」なんだろうと思います。私が教室で「多読多聴」や「BBカード」を取り入れるようになったのは、「正確さよりも、間違いを気にしないで使っていく英語」に近づきたいと思ったから、そんな理由なんだと思います。
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